カテゴリー
書庫

 たかが顔、されど顔。

 生き物の最も目立つ場所へ貼られたラベルが顔である、個人を識別するための記号の集合体であり、フィクションの世界では頻繁に模倣され、同じ頻度で看破される、空似はあれどまったく同じ顔というものを作るのは存外難しい、部品の大きさや配置を同じにしても、作り出す表情は微妙に異なるからだ、なぜ異なるのかといえば中身が違うからだろう、誰一人としてまったく同じタイムテーブルで人生の物語を共有する者はいない、そのはずだった、異変が起こるまでは。

『しかしこの街は実に酷い有様ですね、黒猫様』癖の強い金髪を揺らしながら半歩後ろをついてくる従者は面食らった様子で翡翠色の瞳をまたたかせていた、ビルの合間を縫う道すがらすれ違う人々は全員白い仮面で素顔を隠している、それは視界や呼吸を確保するための穴すら空いていない不気味な代物だった、本当に気味が悪ければ具合も悪い、奴らは今や全員が同じ行動を順繰りに取らされて完全に差異を剥奪されてしまった、中身を満たす人生の物語は異なるのに同じラベルを無理やり貼られたがゆえ、量産型の機械と同じ奇怪な群体ができあがった。

 あまり落ち着かない様子を見せるなよと黒猫なる人物は従者をたしなめる、顔を晒して歩いているだけでも異分子なのだ、川の流れには逆らわぬのが吉なのだから『わかっておりますが、そう言われると尚更なんだか鼻がむずむずと』おい待て、この街じゃクシャミをするタイミングさえ決められてるんだぞ、制してみても所詮は生理現象、白いハンカチを取り出し息を吸い込み始めた執事がハクションと騒ぐのを止められはしない、刹那、足並みをそろえていた群れが一斉に足を止め、鼻なき鼻を、目なき目を向けてきた。