カテゴリー
一行小説

行十十

 きゅっとほどよく、あなたの首を絞めるのがお仕事です、力加減はあなた次第です、ぶら下がるのが役目なので、くれぐれも私にぶら下がらないでくださいね、ネクタイより。【身嗜】

 大抵の人は必死に私を探してくれますが、見つけた途端に安心してどこかへ行ってしまいます、私のいる場所は常に通過点であり、あなたの目的地になることは永遠にないでしょう、いつかあなたと再会できる日のために、雨の日も雪の日も、少しだってここを動かず待っています、道を完璧に覚えてもたまには私を頼ってください、案内板より。【健気】

 私が間違えることはまずありません、誤りは常に他人が起こしてしまうのですが、それを直すために一肌も二肌も脱ぐのが仕事なので仕方ありませんね、この身が歪にすり減ろうとも、消えて無くなってしまうその日まで、私は今日も、あなたの誤字を消し続けましょう。【消去】

 私の出番は来ない方がいい、お呼びがかかるのはいつもあなたが傷ついた時だから、包丁を扱う危なっかしい手つき、滑り落ちた紙が薄皮へ残した真一文字、セーターの袖口にちくちく引っかかるささくれ、この傷が治らなければずっと一緒にいられるのにと、剥がされるその直前まで考えている。【応急】

 身の回りにある品々が最近なんらかの意思を持っており、視界の外で自由に動き回っているような気がしてならないのだが、単に俺がそれと気づかなかっただけで奴らは最初から生き物に近しい存在であったとしたら?【提起】

 軽いジョギングを終えて帰路につくと、家があった場所にはまったく見覚えのない社が建っているのみで自宅の面影はない、何かの間違いであるとしか思えず再び走り出し、見慣れた道へ出てから帰宅のルートを辿る行動を繰り返して、既に何キロ走っているのかわからない。【変事】

 白い皿にスプーンだけが乗せられて配膳された、これから料理が別で運ばれてくるのだろうかと期待してレストランの店内を見回すと、客の誰もが形も様々なスプーンを粛々としゃぶっており、ここでの作法がわからないのは自分だけのようだった。【饗宴】

 これでお別れだからと抱きしめあった恋人が今更離れ難くなったらしい、最後の抱擁から手を離そうとせず、僕はどこへ行くにもしがみつき続けているコアラのような彼女を抱いて生活している。【抱擁】

 あっ、飛行機だと叫んで子供が指差したのは銭湯の天井だった、湯気の雲の向こうに目を凝らしてみると、ぱらぱらプロペラを回転させながら飛ぶ赤いウィンナーの影がうっすらと見えた。【湯気】

 宅配の荷物を受け取るためちょっと席を外しただけなのに、読みかけのまま開いていた本から文字が逃げ出してしまった、散り散りになった活字を掃除機で残らず吸い込んで集めた字を、さあ、白紙へ並べ直すところからが本当に大変な作業なのだ。【作業】

 はい、それではここまでご覧くださりありがとうございます、また次回お会いしましょう、お決まりの挨拶を残して画面の中の人物は満面の笑みで手を振ってから背を向け、無造作に転がっていた雪平鍋の蓋を開けた、さながら折り紙よろしく器用に体を折りたたみすっぽりと内部へ収まると自ら蓋を閉めてしまった、映像機器はまだ、静まり返った空間で鍋を映し続けている。【閉幕】